うつ気分も差ほど改善しないまま、日々過ごして受診から早3カ月が経過した頃。
更に不安感を煽る事態が起こりました。
東日本大震災です。
これまでに感じたことのない程、激しい揺れ
2011年 3月11日 PM2:46
東北沖 M9.0 の地震
私の居住地は東日本に入ります。
震源地程ではないにしろ、震度6という規模でした。
丁度 仕事中でしたので、会社にいましたが、建物や棚、デスク、全てが凄く揺れました。
自分自身、それまで体験した中で一番大きな揺れだったと思います。
30分程経っても、まだ揺れが収まらず、グラグラし続け、大津波警報も追加されました。
家族も皆、仕事や学校など、居場所がバラバラな時間でしたので、心配でたまらず、メールや電話で連絡を試みましたが、繋がりません。
会社の固定電話も使えないような有様でした。
怖くて、動悸が止まらず、安定剤を飲みました。
地震から約2時間後、やっと自宅の電話と繋がり、二男と話ができました。
家でも食器棚の扉が開いて中身のグラスや茶わんなどが落ちたり、玄関の鏡が倒れたりしたとの事。
私のパソコン周りも悲惨な状態らしく…うわぁ…;と頭抱えました。
最終的に家族はみな無事帰宅できましたし、電気、ガス、水道などのライフラインもとりあえずは無事でしたので、一旦はホッとしたのですが…。
物が無くなり始めた!
次の日にも余震は続いていました。
私は午後に心療内科の診察があったので、病院へ。
病院の最寄りの駅がそこで折り返し運転の状態になっていたためか、駅前は人や車待ちの状態でした。
この地震で交通網がストップし、あちこちの駅で一晩過ごした人も結構居たのです。
翌日の日曜はさすがに疲れが出てしまい、リビングで昼寝をしてしまいました。
が、それが甘かった!!
地震の影響で店から様々な品が無くなり始めていたのです。
夕方、電池や食料を買い出しに行った時には既に遅し。
棚やケースはガラガラ;
それからは、家族内でも、どこかで食材を見つけたら買ってくる、という動きになりました。
食材だけではありません。
ガソリンなどの燃料にも影響は大きく、ガソリンスタンド渋滞があちこちで起こりました。
それも並んで並んで、ずっと待っていても、その日、スタンド自体にガソリンの入荷が無し、で、ガックリなんてことも。
物不足が深刻な状態で、全く先が見えませんでした。
電気まで…計画停電の発表
東京電力は電気の計画停電を発表しました。
原発の影響もあってのことでしょう。
これがまた、日々停電予定が変わったり、電気が止まるかと思えば止まらなかったりなどバラバラで、生活や仕事をする上で、いつも気にしていなければいけない状況でした。
被災地の方々の比にはならないと思いますが、日々の生活の変化についていくのに必死で、これが自分の病状に拍車をかけてしまうことにもなってしまったのです。