地震後、刻々と変化する情報を得ようとアンテナを張っていたのですが、それが段々と苦痛になってきました。
テレビの音が耳障りに思えてしまい、見ていられなくなったのです。
民放テレビがもうダメ
先ず民放テレビの音声がダメになりました。
自分にとっては、喋り方が早く、トーンが高いために聞いていて落ち着かないのです。
お笑い番組なんてもってのほか。雑音以外の何物でもない状態でした。
唯一、NHKのニュースだけは見ることができたんですよ。
やはり、喋り方やトーンが違っていた気がします。
なので、地震に関するニュースは殆どNHKで見ていました。
地震情報収集の反動
地震後の疲弊感は、自分の心身へも影響を及ぼしました。
【ノートより】
あんまりさ、地震の番組とか見続けるのもいけないらしいね。
現地の人と同じように、刷り込みされちゃうらしい。
現実なんだ、こういう人達もいるんだからしっかりしなきゃ、情報集めなきゃ…と頑張ってたら、なんだかツケがきたみたいだ;
今日は気が重い。あの、ウツな感じ。胸がムカムカする…泣きたい気分。
身体も揺れてるよー
閉じこもりたい… 心が無表情になっていく感じ。
段々と、テレビのニュースや映像を見ることが辛くなっていきました。
それだけで気持ちが重くなってしまったのです。
完全なる悪循環でした。
テレビは観た後に疲れる
その後、一時期は民放テレビでバラエティを見たりもできていたのですが、それでも小一時間、ってところでした。
やっぱりドラマや映画など、ストーリーを追ったりするのに集中力が必要なものは、二時間となるとキツくて…
長時間見続けるような放映内容のものは敬遠気味。
かと言ってバラエティは見てるうちに段々音声が耳障りになってきて、ボーダーの一時間くらいの頃からはボリューム落とします。
で、結局途中からはもう見ない、ということが多々あり。
よっぽど自分で興味のあるものはそれなりの時間でも見てましたが、見た後はどうしても疲れますね。
元々、ながらテレビとか嫌いな方だったので、見なきゃ見ないで構わないもの、というのが私のテレビの位置づけのような気がします。
夫さんの死後、全くテレビを受け付けなくなった
更に、夫さんが亡くなってからは、全くと言っていい程テレビを観なくなりました。
もう映像とか音楽とか全てがダメで、テレビもyoutube等も全然受け付けない状態が続きましたし。
今は音楽くらいは聴けるようになったんですけど、新しい曲などは、
「嗚呼、夫さんは もうこの曲を知ることはできないんだよな」
「一緒に聴いて、感想を言い合ったりできないんだな」
と考えてしまって、辛くなったりしてましたし、歌詞が心に刺さって涙でボロボロ、なんて事も今だにあります。
テレビに関しては、もうコンセント自体を抜いてしまってまして…
ウチではただの置物と化しています。
特に、著名人の訃報などは、とてもじゃないですが、テレビでは見れません。
一番気分的に引っ張られてしまいますし。
多分、まだ映画とかもダメなんじゃないかと思いますね。
視覚と音声からのダブル情報は、まだまだ私にとってはストレスのようです。